秋も終わりですねぇ
- 2016.11.27 Sunday
- 02:13
こんばんは!
久しぶりのブログです。
11月1日の雪には驚きました。
写真は少し前のもの。
この秋は……9月の長雨やいつまでも気温が高かった影響か、紅葉はあまりきれいじゃないな、と思っていたけれど、こうしてみると、なかなか、うん、きれい。自然って美しいな。
この秋も、栗拾いはやりました。
出かけるたびに、栗の木の下を通るのだけど、素通りすることはとても出来ない。
どうしても時間がなくて、ぶりぶりっと栗を踏みつけながら車を走らせることの罪悪感は半端ないのであった…。
今年のライバルは鳩だった。
いつもいた。しかも厚かましい彼らは、かなり近づかないと飛ばない。
素通りする時の悔しさは、このごろにしては珍しい激しい悔しさだった。(笑)
とった栗をそのまま茹でても、食べてくれる人はいなくて、せっせと皮をむいて栗ご飯にしたり、渋皮煮にしたり、栗のパウンドケーキにしたり。なんという贅沢なのだろう。
栗の皮をむく作業などは、経済活動として考えたら、なんて合わないものかと思う。今は、ビジネスとして成り立たないことは、無くなっていっても仕方ないような傾向にあると思っているけれど、それっておかしいぞ、と思う。むしろ、栗の皮をむいている時間がくれる幸せの中に、多くの『大切』が詰まっているように思う。さーて、何を作ろうか。大好きな人に、どうやって食べさせようか。誰にあげようか。そんなことを考えられる時間のなんと豊かなことか!
それに、一年にたった数回のチャンスに、栗仕事を重ねる経験は、何物にも代えがたいもの。目には見えないけど、確実に私の技術になり、自信になる。
一番の資産は人間なんだ、私自身なんだと思える事実につながることでもある。
だいたいにして、人は、幸せになるために生きているのだ。
世の中の経済を回すために生きているんじゃない。もちろん大切なことだけど、今は行き過ぎてる。
学校だってそうだ。
幸せになるために学ぶ。
人生を豊かにするために、音楽や美術も学ぶ。でも、大学に合格するために必要じゃないもの、すぐにお金につながらない学びは敬遠される世の中になりつつあるなんて貧しい。
どこかの誰かと競争するために学校があるんじゃないんだ。
と、そんなことを考えながらも栗の皮はむけていく。
有難い。
明日、いやもう今日か。
今日もいい日でありますように。
今日も笑顔で。
きくぼく 暢子より